2011年5月27日金曜日

職人プログラマは、絶滅するべきなのか?

私が始めに勤めていた会社の社長は、「うちの会社は、職人はいらない!」と

言っていました。

当時、新米プログラマだった私は、その意味はわかりませんでした。

今でも、職人プログラマになることは、いけないことなのかと考えています。

確かに仕事を進める上で、ひとりで黙々と作業するようなスタイルは、

プログラマには、適していないような気は、今はしています。

仕事のできるプログラマほど、自分が知っていることと、知らないこと、

知らないことをどうやって知るのか、と言うことを良く知っていると

思います。

大学のとき、担当の教授が言っていたことは、「プログラミングは、知識だ」と

言うことでした。

プログラミングするときに直面する問題は、主に二つあるような気がします。

ひとに聞いて解決できることと人に聞いても解決できないこと。

人に聞いても解決できないことは、自分で勉強して解決しなければ、ならない

のですが、聞いて解決するようなことは、聞いたほうがいい。

仕事でプログラミングするときは、予測されるプログラミングの問題を

どう解決するかと言うことも考えた上で、プログラミングに入らなければいけない。

職人的な技を持ったプログラマは、ソフトウェアの世界では、必要だと

私は思います。

2011年5月23日月曜日

アジャイルソフトウェア開発プロセスは、開発言語に依存するのか?

分かり切った話ですが、アジャイルは、言語には、依存しません。

なんでこんな話をしているかと言えば、「Ruby on Rails でアジャイルソフトウェア開発」というような書籍を目にした気がしたからです。

たとえば、C言語でもその言語に熟達したプログラマがメインで仕事をすれば、それは、アジャイルになると思います。

ある駅務機器を開発している会社で働いたとき、素晴らしいC言語のソースコードを目にしたことがあります。

C言語は、もう過去の言語みたいな風潮がりますが、そのソースコードを読んだとき、きれいなコードとか、アジャイルソフトウェア開発というのは、言語に依存しないんだなと気づきました。

実際、ホンダ車のプログラムとかは、いまだにアセンブラとかC言語で開発しているみたいだし。

プログラマをしていてよかったこと。その一。

プログラマをしていてよかったこと。

僕がプログラマになったのは、1998年、大学を卒業して、群馬県の社員数30名の零細ソフトウェア開発会社に就職した時です。

その会社では、システムエンジニア見習いという名前で、技術者の教育とソフトウェアの開発を行っていました。

そこでソフトウェアの開発の基礎を叩き込まれました。

一番まいったのが、4歳年下の高卒の女性が、僕の教育担当になったこと。

一応大卒です。と言うプライドもずたずたに引き裂かれたのを覚えています。

もともと Apple のエンジニアとか、そういう華々しい職業を夢見ていたので

その会社に就職した時には、自分の人生は、終わったと思っていました。

まったく失礼な話で申し訳ないのですが、そんな気持ちで2年間、

プログラマとして働きました。

プログラマ30歳定年説の根拠。

ひがやすをさんの本にこんなことが書いてあります。

「昔はそれで間違ってはいなかった。汎用機やオフコンの世界では、プログラミングの技術が進化することは、ほとんどなかった(と思われる)ので、プログラミングでできることを大枠で知っていれば、細かなことを知らなくても業務仕様を決める分には困らない。また、ほとんど進化しないので、新しいことを覚える必要がない。」

これは、解釈を間違うとひがやすをさんにも迷惑をかけてしまうのですが。

コボルの技術者は、プログラミングを何年もやっているのは、ダメなやつだ。
早くプログラミングなんか卒業して、SEになるべきだ。

このような考えがプログラマ30歳定年説の根拠になっている。

そんな話をどこかで聞いたことがある。

ひがやすをさんは、続けて、技術の変化の激しい現代では、プログラミングの
技術をよく理解していないと、何ができて何ができないかを判断できない。

のようなことを書いています。

このような意見から、プログラマ30歳定年説は、もう過去のものになりました。

そして、プログラマの地位の向上のために私もがんばりたいと思っています。